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三十六詩仙

丈山がこの堂に掲げるべき三十六詩人とその詩を選定したのは、寛永十八年、五十九歳の時であった。
これは、わが国の三十六歌仙にならったもので、その選定には林羅山の意見も求め、左右十八人、それぞれの組み合わせに意味を持たせた。
蘇武と陶潜、韓愈と柳宗元など七対は羅山の改定したところである。
しかし、羅山が蘇武に対して王安石をあげようとしたのに対し、丈山は王安石の人物を好まず、
羅山また、人物でなく、詩を重んぜよとして両者の間に論を戦わすこと数回、ついに王安石は省かれるなど、選定にはかなりの苦心がなされた。
詩人の座像は、すべて狩野探幽の筆になり、詩は丈山得意の隷書体で書いたものである。

別に「詩仙図蔵並序」一巻があり、隷書は丈山の自筆である。
丈山自撰の「詩仙図像並序」中に次の記事がある。
丈山寛永十八年の春、適々此地に来りて茆を切りて宇を葺きて終焉の謀を為せり矣。
是に於て中華の詩に工なる物三十六人を撰び、左は蘇卿に首めて陳去非に尾へ、
右は陶令に首めて曽吉父に尾ふ。
諸を方版に図して警絶を其上に題し、壁間に排列して扁して詩仙堂となづく。
事は其記中見えたり ・・・・・・・ (以下略)












































